poem

私は管(くだ)だと思うのである

八木幹夫

わたしは戦争が好きだ
わたしは人が殺されるのを見るのが好きだ
わたしは怒鳴り合う人間たちを隣で見ていることが好きだ

わたしは言葉で苦しむ人々が好きだ
わたしは言葉で罵り合う人々が好きだ
わたしは疲れ果てて言葉を失った人を隣で見ていることが好きだ

わたしは排泄するようにものを食うことが好きだ
わたしはものを食うように排泄することが好きだ
わたしは世界が排泄したものを食うことが好きだ

わたしは管だ
わたしは管だと思うのである
わたしは尻の方から割れてわたしを食おうとする意志をもつ蛇だ
みずからの尻尾をのみこむウワバミだ

わたしはわたしという人称を捨てた管だ
管はわたしを模倣する
わたしはわたしという人称を捨てて
管だと思うのである

管が動くのである
動く管なのである
管は果てしなくつながる管なのである
管 管 管 管 管 管

管の内部でうごく液体
分泌される液体
黄色く濁る水
ぴちゃぴちゃとゆれる体液

内部なんてあったのだろうか
外部だけでできている皮膚ひふ皮膚ひふ
びらびらと内側へむかって流れる川
川はいつか内から外へ流れ始めるだろう 命の外へ


眠っていれば よくわかるのだ
外部は内部の動きに助けられて
体操選手の後転のように自分の内側へのめり込み
内側は外へむけて突出しようとする

外は内となり
内は外となる

食べることは内側を消耗させることだ
内側はやがて外側となるのだ

わたしは世界が通過する管である
わたしは自分のくちびるを裏返す

管を外側に巻き始めたのは誰か
内側を外側にしてゆく瞬間から
管は下痢が止まらないのだ

おお下痢する管よ
くだしつづける
管よ
汚物のような世界よ
汚物のような情報よ

わたしは食べるそばから下痢する管だ
わたしは下痢する管であり続ける

美しいバラのような管よ
裂けよ 咲けよ

2006年2月3日午前0時作。