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by YAGI Mikio

西澤 利高さんへ

一昨日は上溝の工房を訪問させていただきありがとうございました。立体造形の制作現場というものを見たのは初めてのことです。先日、拙宅に今回のイベントの素敵な葉書と案内を持ってきてくださった時に、作業着姿のあなたの身体全体から、一種独特の匂いを感じました。鉄鋼所のあの鉄の燃え上がる匂い。そうそう、ほら、高度経済成長期の日本のどこでも見かけた建築工事現場の青い炎とその音の余韻。作業着の匂い。鉄を折り曲げ、伸ばし、よじり、切断する現場はどんな所なのか、その空間に急に興味が湧きました。工房の引き戸を開けるといきなり巨大な白い犬が寝そべっていましたね。足の膝関節に癌があり、手術したけれどなかなか完全治癒しない。足切断が延命策になるかもしれないとのこと。大人しい気立てのいい犬です。窓の向うは相模線の線路の土堤。室内はまるで事故現場のように私には見えました。
 LPガスボンベ、バーナー、レンガ窯、鉄板、?(かなとこ)、ボール盤、錐揉盤、立て万力等が作業場の四隅にそれぞれ配られ、現在制作中の作品が中央に置かれている。私の詩作品『私は管(くだ)だと思うのである』に触発されて作ったといわれるその鉄の造形物の姿態に私は興奮しました。それは一瞬、女性のもっとも恥ずかしい体勢であり、男性から見ればもっとも欲情をそそる姿をそこに展開していたからです。鉄という固く重い素材に情欲が起こるということは矛盾であり驚異です。股間の接着面にバーナーの強烈な火を当ててひとりこの部屋で制作している姿を想像すると、作家と物体との間に生まれる不思議な闘いは古代の「たたら」の部族が山を焼いて鉄鉱石を溶かす作業を連想させます。ひとつひとつの鉄が捩られ、空隙の中にやわらかな曲線を幻想させて、全裸の女性の妖艶を引き出しています。性のいとなみの中で洩れてくる喘ぐ声や息遣い。その管の先端から洩れる空気。どのような生物も管とその管を受け入れるもう一つの管を通して生命の繁殖行為が行われる。そこには不浄も不潔もありまあせん。動物には卑猥は存在しません。逆にいえば卑猥を感じ取る人間の中にこそ真実があるともいえます。しかし、よく見てみると、それが女性であると誰が断言できるでしょうか。臀部から腹部に向う視線の先には胴体が筒状になって鉄管が前屈みに倒れ込んでいるだけです。胸部の膨らみもなければ、頭部や顔もありません。管があるだけです。これを女性と思い込んだのは錯角かもしれません。私たちの体内を流れる血液もまた、血管という管を通過しつつ心臓の鼓動とともに脳内を巡るわけです。管(くだ)は実は物質内部を通過しつつ酸素や栄養分を運ぶという不思議な役割を果しています。思考する、考えるという行為はこの管が運んでくる栄養素や酸素の働きに依存することが大きいのでしょう。

続く


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